カンボジア情報

意外と深い日本とカンボジアの関係とは

カンボジアには親日家が沢山います。それは内戦後、崩壊状態になったカンボジアを日本は多くの支援をして復興の手助けをしたからです。これまでカンボジアの地域情報や不動産情報について色々とご紹介してきましたが、今回は今更ながら、日本とカンボジアの意外と深い関係についてご紹介します。

 


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カンボジアの歴史・政治と日本

カンボジアと日本の関係は古くは1600年代、徳川家康が当時の国王に通商(朱印船制度創設)に関する書簡を出したことから始まり、カンボジアからも国書が送られて以来、日本商船の渡航が頻繁に行われました。やがてカンボジアに居留する日本人が増えてプノンペンとポニャールー村付近(カンダール州)の二ヶ所に日本人町が形成されました。

朱印船貿易

終戦後の1951年には、カンボジアと日本は正式な外交関係を結びました。1959年プノンペンからトンレサップ河を渡った対岸への橋の建設を日本のトーメンと冨士車輌のジョイントが建設し、完成した橋は「日本橋」と呼ばれるようになりました。昔のカンボジアは栄えていてプノンペンは「東洋のパリ」と呼ばれるほど豊かでしたが、1970年代に起こったロン・ノル派のクーデターから始まり、ポル・ポト政権やヘン・サムリン政権時代の内戦によりカンボジアは壊滅状態になり、多くの国民が命を落とすことになりました。ポル・ポト時代の1975年以降、両大使館は閉鎖されていましたが、ポル・ポト政権崩壊後の1992年より在カンボジア日本国大使館が、1994年には在日カンボジア大使館が運営を再開しました。このような状況下で日本はカンボジアの和平達成に向け、オーストラリアやインドネシアと世界中に対して和平交渉の働きかけを積極的に行った結果、和平会議が実現しました。その後もカンボジアの問題解決に向け、国連のPKOとしてUNTAC(国連カンボジア暫定機構)が設立され、日本も地雷除去などのために自衛隊を派遣しました。このように日本は、カンボジアの情勢安定のために様々な強力を現在まで行っています。

 

日本からカンボジアへの経済援助

日本は、1959年からカンボジアに対し無償・有償資金協力や技術協力など復興から開発まで様々な支援を行っており、カンボジアの最大援助国になります。カンボジアでは日本の援助で、1963年にプノンペンに「カンボジア日本友好橋」、2001年にメコン川に「きずな橋」、2015年に「つばさ橋」が建設されました。2014年に発行されたカンボジアの500リエル札には「きずな橋」と「つばさ橋」、カンボジア国旗と日本国旗が並んで描かれています。カンボジアに対する日本の投資はインフラ整備(交通網、港湾、電力供給、上下水道)などを行う政府開発援助(ODA)関係の商社や建設会社が中心でしたが、2008年以降はヤマハ発動機(オートバイ)やスズキ、ミネベアなどの車両製造業、SBIグループの合弁企業であるプノンペン商業銀行(現在は持株を売却)や三井住友海上火災保険が投資するアジア・インシュアランスなどの金融・保険業、味の素などの食品産業など多彩な分野の企業が進出するようになっています。

カンボジアの500リエル紙幣

しかし2000年代半ば以降は、中国からカンボジアへの援助が拡大の一途をたどり、首脳レベルの会談のたびに多額の援助が約束され、2010年には中国が日本に代わってカンボジアを支援する最大の二国間援助国となりました。中国の「一帯一路」構想のもと2015年から16年にかけて、中国は5億ドルを超える巨額の政府開発援助(ODA)を実行しており、その後も2023年にカンボジアで開催される予定の東南アジア競技大会のための大規模スタジアムを建設したほか、プノンペンとシアヌークビルを結ぶ高速道路の建設計画を担うなど、大型プロジェクトを積極的に進めています。

カンボジア・フンセン首相と中国・習近平国家主席